駄目だぁ。

セットの横にはけて音也はずるずるうずくまる。「わらって」と言われるとこわばってしまうのが分かる。幸い今の仕事はごまかせているけれど、それも長くは続かない気がする。今日リテイクが多かったのも、うすうす気づかれているからだろう。
自分で頬を持ち上げてみる。笑顔って、なんだっけ。

暗い不安の中ちっとも浮上できないでいる。


困った時の。保護者代わりのようなメンバーがふわっと浮かんで、選んだのはそのうちの一人だったが、飛び込んだ先には運がいいことに二人が揃っていた。

「どうしようレン!俺もう笑えない!」

うわああん、と泣き言を言いながら飛び込んだのはレンの自室、彼はそれは困ったねと苦笑し、トキヤがなんですか急にと眉間にしわを寄せた。
「あれ?トキヤもいる」
「イッチーは読み合わせに来てたんだよ」
「…邪魔なら出ていきますが」

さっと立ち上がったトキヤは拗ねている。ごめんトキヤと思わないでもなかったが、なんとなくトキヤには言えなかった。相談事をする相手がレンだということが面白くないんだろう。それは音也とトキヤの関係を考えれば当然のことだけれど。
「ま、それはともかくね、どうしたんだい」
「俺変なんだ。全然笑えなくて、もうどうしていいかわかんない」
自分なりにこうなった原因を考え打開策を講じてみたが限界だ。
そもそも自分で理由が分からない時点で解決なんかできっこない。
「…おちびちゃんがね、心配していたよ。聖川もしのみーも様子がおかしいって言ってた。俺もイッチーも、イッキがちょっと元気がないなって思ってたんだ」

優しい手が音也の髪を撫でる。困った時にレンを思い浮かべてしまうのはレンがこうだから。
お兄ちゃんみたいだなぁって、頼っても甘えてもいいんだって安心する。
安心したら、涙が出てきた。
「ねぇ、レン、レンに俺はどうみえる?」
ぐしぐしと拭いながら尋ねる。
「…そうだね、」
「レン、飲み物買ってきてください」
「えっ」
「ん?」
「そうですね、出来るだけ遠くに、行って、出来るだけ長く帰ってこないでください」
「ちょ、トキヤ?!」
「家主は俺なんだけど。まぁいいさ。行ってくるよ。イッキを頼んだよイッチー」

レンの答えを遮ったのはトキヤだった。ほんの短い時間二人は視線を合わせ、レンはうなずいた。ちゃり、っと部屋のカギを手にして出ていく後姿に呼びかければいいから、とレンが笑う。
「そうそう、さっきの質問ね、イッキは最高にキュートで、輝いてるよ」
ぱたん。
相手が女の子なら口説き文句だろうセリフを残して扉が閉まる。残された音也は意味が分からず、とりあえず横暴を働いたトキヤに声をかけてみる。
「あの」
「座りなさい」
他人の部屋で、他人のソファを偉そうに指差すのはどうかと思う…。けれどピリッとした空気のトキヤに逆らえず、腰を下ろした。トキヤも隣に座る。
「はぁー…」
「ため息、だねトキヤ」
「呆れてるんですよ。…あなたが、あの記事が出てからどこか変だと翔から聞いていましたし私も感じていました。けれど自分で解決する気なら放っておこうと思ったんです。貴方は子供ではないですから。そんな私の気持ちも知らず、まっさきにレンを頼るとはどういうことですか。傷つきました、傷心です。何が笑えないですか、笑えないのはこっちですよ。頼ってもらえないなんて、音也はひどい」
そんなに知られていたのか、とか心配されていのか、とか恥ずかしくなる。長いセリフをさすがの肺活量で言い終えてその上さらに溜息を吐く、ああこれは歌でも芝居でも武器になるよなぁ。
「…ごめんって。でもレンにあんな」
「いいんですよ、聡い彼はなんとなく察したでしょうし」
「…あのさ、トキヤに頼りたくなかったとか、そういうのは違う。知られたくなかったんだ。あんな一文でダメになるなんてアイドル失格だろ」
「…アイドルの一ノ瀬トキヤなら、一笑に付すでしょうね。そんな軟弱な精神で生きていけるものかと。でも、音也にとって私は、それだけではないでしょう?」
トキヤが手を重ねてくる。指と指を絡ませてしっかり握られて逃げられない。この話題から逃がすつもりもないのだと暗に語っている。
「笑顔の裏って言われて、どきっとしたんだ。俺が分かるのはそれだけ。そしたらうまく笑えなくなってて。俺、傷ついたのかな?いまさら過去のことなんてって思ってたけど、そうじゃなかったのかな」
「初対面でいきなり身の上話をした人の言葉とは思えませんね」
「だからわからないんだよ」
「音也はレンに自分がどう見えるのかと聞きました。私にはそれが答えのように思えます」
「どういうこと?」
トキヤを覗き込む。

「私は貴方が嫌いでした。嫌いというか、苦手だったんです」

与えられた回答に目を瞬かせてしまう。ぱちぱちと音を立てそうな瞬きとぽかんとした表情は少しずつ悲しみをつくる。あやすようトキヤが額に唇を寄せた。
「初対面から、距離が近くて、貴方は人と近づくことをまったく恐れていなかった。いつもへらへらと笑って、ああこの人間は大層上質な愛情に包まれてここまで生きてきたのだなと思いました。愛情を当たり前にもらえるから、なにも怖くないのだと。こういうタイプは他者の痛みに鈍感に違いないと」
昔を馳せてか小さく笑みをこぼした。はちゃめちゃな出会いだった。いまは懐かしい、愛しい思い出だけれど。そっけなかったトキヤはそんなことを考えていたんだんだな。そっか俺嫌われてたんだー…と少し悲しくもあったが、トキヤがやさしいので今は違うってことがわかる。
「事実は異なりましたね。貴方は人の心に敏感で、自分自身のことに、今もそうですが、とても鈍い。わかりませんか?」
するすると下降する唇は額から瞼、頬、鼻を柔くはんで、耳元におりる。

「たくさん愛されて育ってきましたね、音也。私にはそう見えます」


ことん、と落ちる音がした。音也の中で形になる。
うん、そうなんだ。そうなんだよ、トキヤ。

音也には両親がいない、育ててくれた人も亡くなってしまった、けれど家族はいなくても、家族になってくれる人はいた。すぐに思い出せる施設の先生や仲間、かんちゃんや大ちゃんのこと、真剣に進路を考えてくれた先生の存在、これまでに音也を支えてくれた友人と、独りきりになって迎えたクリスマスの日に奇跡みたいに現れた大きな足の、さんたくろーす。
「…笑えないんじゃなくて、笑いたくなかったんだ」
言葉にして自分の心に気付く。

それは音也の無言の抵抗で、意地だった。


哀しそうなんて言わないでほしい。そんなはずない。こんなにたくさんの人に大事にしてもらった自分が嘆いているなんて、音也の中に生きる音也に関わってきた大切な人たちを侮辱する言葉だ。そんな風に言うなら、笑ってやるもんか。意地を張った音也のやり方は音也にすらわからなかったけれど。
「よかった。ちゃんと、そっか、俺、よかった…」
「もう、大丈夫ですね?」
「うん」
トキヤの前で笑ってみる。
ふにゃんと溶けた笑み。目元は泣いたせいで少し赤い。この人が、トキヤが、見つけていてくれるなら大丈夫だと思えた。
その顔で、「今の俺はどうみえる?」と聞くものだから、トキヤは飛び切り甘い声で答えた。

「私に愛されてしあわせ、でしょうか」

「トキヤってほんと、時々びっくりする」
言いながら、音也がまた笑う。



この姿を見て、わかってほしい。自分を支えてくれた人に、応援してくれる人に、音也が「いつかきっと」と求める人に。生まれて生きて出会って、音也の感じる幸福が、あなたに伝わりますようにと。




Happy birthday for Otoya!2013/04/11