それが何に起因しているのかは、なんとなくわかっていたけれどトキヤには対した問題ではなかった。
大事なのは音也が求めたということだ。
だから何気なさを装って与え、手に入れた。
弱みに付け込んだとして後悔はない。どうしても欲しかったのだから。




「トキヤの匂いってすきだなぁ。
不思議だよね、おんなじ石鹸使ってるのに」

ベッドの上できゅうきゅうと抱きついて音也が言う。
その背をあやしながら首筋に鼻を寄せると音也の匂いがした。
彼が言うように同じものを使っていても違う匂いがする。自分には彼の匂いが好ましい。
「くすぐったいよ」
音也はクスクスと空気を揺らしてトキヤの髪から逃れるように身じろぐ、
それを許さないとでもいうように力をこめた。
「あれ?トキヤも寂しいの?」
「・・・逃げられると追いたくなるでしょう」
「逃げてないよ、くすぐったいんだってば」




誰にだって人恋しい時はあるのだろうが、音也のそれは顕著だった。
気づいたのは寮生活にも慣れてきた頃
いつもは自分よりも早く眠る音也がごろごろと忙しなくベッドを転がり一向に眠る気配を見せなかったので「眠れないんですか」とたずねたのがきっかけだった。
胸がざわついて寂しくて、過ぎていくのを待つしかないんだと
普段の彼からは想像が付かないくらい大人びた表情で言ったアンバランスさが印象的だった。
ただ膝を抱えて耐えるだけだった彼にトキヤは人と触れ合うことを教え、
音也はその心地よさをいつしか恋と名付けた。トキヤが望んだ通りに。


「トキヤ…?ーんっ」

拘束を緩めて口付ければ嬉しそうに目を細める。軽く肩を押すと逆らうことなくベッドに沈んだ。
覆いかぶさってもう一度、今度はもっと深く探る。
「ふ、・・・っ」
小さく漏れる声が愛しい。
(どうしてでしょうね、音也。私は歌以外に関しては
そんなに貪欲な人間ではなかったのですよ)



「はっ、もーっ・・・いきなりすぎだよトキヤ!俺もうちょっとべたべたしたかったのにさ」
「そのくらい今からでもできるでしょう」
「うーん、それとこれとは違うっていうか」
「同じです」
「えー」
「嫌ですか?」

ぷくっと柔らかな頬を膨らませて拗ねているぞとポーズをとった後、
真剣に尋ねてくるトキヤを見て、しかたないなぁと眉を下げる。
「いいよ。トキヤはいつも俺の特別だから、許す」

子ども体温が急に近くなって身動きもできないほど抱きしめられる。
欲しかったのは、そういうものだ。

音也の笑顔も声も体温も全部。
だから誰も責められないしトキヤは一度も後悔しない。
でもかわいそうだと、時々思う。

「音也」
「ん?」
「・・・なんでもありません」



寂しいんだと抱きしめる相手は花のような女性だっただろうに。


華奢な手首や腕やいい香りのする体、強く抱いたら壊れてしまいそうで、その小さな彼女を守りたくて
恐る恐る腕に閉じ込めるんだろう。
唇を寄せて愛を語れば柔らかく響くソプラノがかえす。すぐ近くで見つめ合って微笑む。
ギターのために皮膚の厚くなった手のひらはすべらかな指を包んで少しだけ歩を緩めて隣を歩く
お似合いの未来を音也は考えもしない。硬いからだを寄せあって武骨な指を絡めることを幸せだと信じている。
哀しいくらいまっすぐに。


「…好きです」
「ん、俺も」
「好きなんです」
「…俺も大好きだよ?」
「すき、」


切羽詰まって掠れた恋人の声を不思議に思った音也が何事か呟く前に声も息も漏らさないように塞いだ。
いつもより余裕のないトキヤにまた別の解釈をつけて、気持ち良さそうに喘ぐ。


祝福される暖かな未来だって願ってやりたい。腕の中の日だまりを誰にだって渡したくない。
相反する感情を抱えてそのどちらもが愛だとは、トキヤにはまだわからなかった。