「桜吹雪待ちです!」

大樹を前にたたずむ音也にスタッフの一人がそう告げた。今日は新発売のお菓子のCMの撮影で、コンセプトは桜味と初恋。幼馴染の女の子(という視聴者目線)に笑顔と共にお菓子を差し出す、きゅん、と効果音が入って「初恋の予感」と音也のナレーションと共に宣伝が入るという、わりと王道なものになる予定だった。どういう状況でどうしてお菓子なのかは音也にはよくわからないが、とにかくきれいなCMになるんじゃないかと桜の木を見ながら思った。風がなくとも2、3枚の花弁がひらひらと地面に落ちている。桜の木が密集しているこのスポットでは先に散ってしまった花びらがピンク色の絨毯をつくっていた。踏むのすらもったいなかったが、その中央に立っていると視界が淡いさくら色に染まって自分を映す機械や人の声が少し遠のくような気がした。

音也のすぐそばの「花びら待ち」をされている木は一番大きい。幹は音也の両腕では回らないほどだったし、てっぺんは遥頭上だ。
この桜の中で、最高の笑顔を作らなくっちゃ。
ぺたぺたと幹を触りながら口角あげてみる。

「なかなか風が吹きませんね」
桜が口をきいたのかと思うほど穏やかでやさしい声がした。微風のなか儚げに散る桜をモチーフに「二度目の恋」を先に撮り終えたトキヤだ。彼も桜を見上げている。
「うん、待たされる時間って緊張するよな」
「そうですか?自分の中で整理する時間ができると思いますが」
「そりゃトキヤはそうかもしんないけど、俺はすぐに本番!っていう方が得意」
へへ、っと笑えば自慢にはなりませんよと頬をつねられた。仲がいいんだねーとある種お決まりになった言葉を周りから頂戴する、これはもう形式美と言ってもいい。最近はトキヤも「そんなことありません」と言うのに飽きたのか、諦めたのか、「ええ」と軽く頷くだけになった。
「初恋の予感って考えれば考えるほどわかんなくなる。なぁトキヤの初恋っていつ?」
「いつでしょう、幼稚園の頃でしょうか、もうよくわかりません」
「可愛い!」
「…音也はいつですか」
片方だけひっそりとあげられた眉は台詞に対する心外ですを表していたが、音也にとっては慣れたものだった。
「うーん、施設の、勉強を教えに来てくれてたお姉さん、かなぁ?」
「その話後で詳しくお願いします」
「何だよトキヤぁ、俺だってもうよくわかんないくらいの昔だよ」
桜色の柔らかい頬をして暖かな笑みを見せる人だった、様な気がする。思い出そうとしてもフォーカスががかって形にはならないけれど、ほんわりと胸の奥が暖かくなる優しい思い出の一つ。
優しくなるばかりだから、あれは恋ではなかったのかもしれない。もしくは淡い、と頭につく。
音也の知った恋は柔らかいばかりでなかったから。結局その場所に居座ったのは目の前にいるこの男だけということになる。
「…予感なんてなかったなぁ」
人は恋に落ちることがわかるんだろうか?このテーマをもらってから音也は何度か考えた。思考してる最中何度もトキヤの顔を見てしまい首を傾げさせてしまった。音也にとっても無意識で、ただこの手の話題になると自然と向いてしまうのだ。だから今も、桜を見上げるのをやめてトキヤを見てしまい、そこで「あ、」と思った。

「トキ――」

花が乗っかってる。言うよりも早く木がざぁっと鳴いた。
突風だった。
花びらが入らないように口をむすんだ。音也のすぐ近くの大樹も周りの木も、一斉に花びらを飛ばす。既に地面に在りながら未だ還りきらないそれも同時に舞い上がって、視界は淡く一色になった。
砂が目に入ってしまい一度目をつぶる。トキヤも急な風に腕で囲いをつくっている。身に着けた衣類がばさばさと派手に音をたてる。
まだ定めではない花びらも強引に木から離され、舞い落ちてもまた吹き上がる。重力に従うのみではない桜の花びらは溢れるばかりだった。さらに量を増す。
桜の花は思っていたよりも小さくて、丸くて、色は白く見える。雪みたい。だから吹雪っていうのかな。
その中で目があった。
トキヤの深い藍色の瞳は桜を反射して少し柔らかな色をしていた。音也とトキヤの間に降る桜で輪郭が所々おぼろげになる。

(きれい――)

その姿を捉えられないほど勢いを増す風と桜の中で、瞬きをしたトキヤの姿だけがやけにゆっくりと音也の瞳に映る。アイドルとして努力を怠らない彼だけどもともと、随分と美しい形をしていて、そんなものに見詰められると音也は緊張してしまう。
トキヤはうすく微笑んだ。惚けて自分を見る音也にも桜がまとわりついて彼の持つ瞳や髪と馴染んだそれは、トキヤにとっても美しい光景だったからだ。


「一ノ瀬君戻って!一十木君始めるよ!」


音也の肩が声に反応する、仕事中だ。どこか幻想的な雰囲気にすっかり二人きりでいる気になっていた。トキヤは振り向いて返事をしてから急いで機材のある方へと走って行く。
いまだ降りやまない桜の花びらの中音也はひとりになる。
段取りは全部頭に入っている。早口で最後の確認があってから10、からカウントダウンが始まり3になった時から声がなくなり音也は静かに長く息を吐いて、目を閉じて、ひらく。


予感なんてなかった。音也ははっきり覚えている。ほんの少しずつ近づいて気が付いたときには座り込んでいた、それが音也の恋心。ではあれはなんだろう。
2年前のトキヤ、1ヶ月前のトキヤ、1週間前のトキヤ、昨日のトキヤ、そして今日。
事あるごとにきゅんとうずく胸の音。

カメラに向く音也を見守るトキヤの頭の上には、ふり払われなかった花びらがまるでそこが還る場所とでもいうようにちょん、と乗ったままで。衣類にもくっついている。
美しい人の可愛い姿に音也の心はまたもきゅんと音を立てて、その衝動のままに微笑んだ。
音也の求めた応えは後々に与えられることになる。

「くったくなく笑う太陽のような一十木音也」を求めていた企画が最終的に採用したのは、この時撮れた穏やかな表情だった。桜のカーテンの中ゆっくりと目を細める男は確かに恋をしている。
けれども初恋の予感と言うよりは、求めていた人を見つけた、という安堵の表情に似ていた。唐突に訪れる風の様でなく小さな花びらがすこしずつ積もるように居座った人を、その目に映した喜びがあったから。
『なんどでも最初の恋を』
パッケージに印刷された文字はそこから来ている。
予定された効果音はそのままに、テレビに映る自分のCMを見ていた音也はくるりと方向を変えて、トキヤを見た。癖になってしまっている。なんどでも、かぁ。うん、そうかも。
「…なんですか」
「なんでもない」
「おーとーやー」
「えへへ」


音也は何度も恋をする。証拠のように今だって、トキヤの姿を捉えるたびに、心がきゅん、と跳ねるのだ。