@mylittle/七色/未来地図/虹色over/smile/
わくわくとしながら歩を進める。夕焼け色に染まった町並みは驚くほどやさしく見えて、平和で、俺はなんだか満足してしまう。伸びていく影が二つ分。身長差と同じように彼の影の方が背が高い。面白いねって踏んでやったら影踏み鬼じゃないんですよ、とトキヤが言った。夜を待つ静けさと橙に染め上げる夕日みたいな優しさを含んだ声は、ぽつぽつ灯る街灯のように心にほんわり広がった。 「…音也、私翔に台本返しましたっけ」 さっき別れた友人の名前を口にしてトキヤは留まった。俺も同じように歩を止める。 「うん、返してたの見たよ?」 「私の台本は返してもらいましたか」 「そこまでは覚えてない」 「…」 肩掛けのバックをトキヤが探る。几帳面な彼の持ち物はきれいに整頓されて入っているはずで、一見すれば結果はすぐにわかるんだろうけど、それでもがさごそと中を乱してお目当てのものを探す。台本っていうのはトキヤと翔が出てるドラマのもので打ち合わせの時に入れ違ったらしい。つまりトキヤのものを翔が持って帰って、翔のものをトキヤが持って帰った。だから今日はそれをちゃんと正しい持ち主に返そうね、っていうのに俺もついて行った。…のは少しだけ建前で、二人して外に出る口実でもあるんだけど。 「ない、です。ちょっと行ってきます」 「待って、トキヤまず連絡!」 慌てて駆け出そうとするトキヤの代わりにスマホを取り出して翔を呼び出す。そんなに時間は立ってないから、まだ近くにいるはずだった。 「…うん、わかった。今から行く。うん、うん。はーいまたね」 「翔は?」 「確認してみたらやっぱり二冊持ってたみたい。まだ地下鉄にも乗ってないし引き返すって」 「そうですか。音也はここで待っていてください。私は走ります」 「いってらっしゃい」 トキヤはスポーツマンのイメージはないけど運動は苦手じゃない。そんな彼の走り出す姿に頬が緩むのが抑えられない。台本という本題を忘れてしまったのも、翔に確認も取らず戻ろうとしたのも、何もかもが「らしく」ないから俺が待ちわびるのと同じように彼も嬉しいんだろう。 全力疾走で遠くなる背中にこけるなよと叫べば、トキヤがくるりと振り向いた。 「絶対に待ってるんですよ!」 子どもじゃあないんだから。 今日を手に入れるのは難しくて簡単だった。早乙女学園から数えればそれなりに年数がたってる。それだけの間トキヤと恋愛をするっていうのは、男だからとかを抜いても根気のいることで別れ話だって出たことはある。けれど居場所を手に入れるのは印鑑と証明とあとお金があればよくて、決心までは長かったのにあっけないほど簡単に手に入ってしまった。 俺は最初…といってもいつごろからだろう、大人になることが怖かった。それは大人になってしまえば施設にいられないことが分かっていたからかもしれないし記憶の中の母さんの子供のままでいたかったからかもしれないし、もっと単純に変わっていくことが嫌だったのかもしれない。でも時間を前にそんな我儘は通らない。俺は時がきてあっさりと施設から出て行って、二十歳を超えてからは保護責任者もいなくなった。社会にひとりきりになって、庇護を無くす代わりに権利と自由と責任を手に入れた。その上で選んだ。誰も文句は言えないはずだ。 そんなことを考えながら、目に入った公園へと近づいてベンチに腰掛ける。ここならトキヤが帰ってきてもすぐわかる。道の真ん中にい続けるのは邪魔だしね。 公園では数人の子供たちが思い思いに遊んでいて、小さな手は泥んこだ。 大人になることも嫌だったけど、俺はこの時間帯も好きではなかったなと思い出す。柔らかなオレンジもいずれ薄闇にのまれて友人の表情が見えにくくなる頃決まって音楽が流れ始めて、さようならと手を振ることを痛いくらい知っていたから。夕焼けは俺にとって寂しさの色だった。 施設という家があったのにぬぐえなかった一人ぼっちの感覚はもうずいぶんと遠い。トキヤのせいだろうな。トキヤの眼差しや声は夜に似て、夕焼けは彼を連れてくる。そう思うとちっとも悲しくない。 (…夕餉のにおいだ) と、俺が振り向くと女の人が遊んでいる子供たちに向かって名前を呼んだ。ああ誰かの母親なんだろう。子供たちは名残惜しいのかその声にはすぐに応えない。 「帰るわよー!」 「はぁーい」 渋々、と言った声色で男の子が近づいてきた。彼はまだ遊んでいられる他の友人へ羨ましげな視線を向けながら、手を差し伸べる母親に拗ねた顔をしながら俺の前を通り過ぎて行く。 「もう、遅いから心配したでしょう」 「してくれっていってない」 「こら!」 ありふれた親子の、ひどく眩い光景だった。 『音也、いつまであそんでるのー?お母さん心配で来ちゃった』日の落ちた公園に一度だけ、あの人が迎えに来てくれた記憶は宝物だ。いつもはチャイムが鳴っても知らんふりして遊び続けるのにあの人の姿を見た途端ぜんぶふっとんで、まだ遊んでいこうよと誘う声に強引にまたねを告げて、手をつないで歌を歌いながら、俺たちは家に帰った。顔は覚えていないのにつないだ指先のすこしひんやりした感触は今も。おとや、という優しい声も。 「音也!」 あの人の声に重なるように、回想を止めたのはトキヤの声だった。息が随分上がっている。もしかして行きも帰りも全力だったのだろうか。それはダイエットになったね?なんて言ったら意地悪かもしれない。ねぇ今日まったくクールなトキヤっていうのに会ってないんだけど、お前も俺も浮かれすぎだよね。 「ごめん、ぼーっとしてた。お疲れ、台本あった?」 いまだ公園で遊ぶ子供たちを見ながら、お迎えが来たからいちぬけた、またねと声を出さずに呟いてトキヤに近づく。 「はい、はぁ、私としたことが…。待たせてしまいましたね。今日はせっかく」 「いいよ、お前を待つの好きだから」 「…音也っ」 「ここで抱き着くのはさすがにまずいんじゃないかなー」 がばっと勢いをつけてきそうな彼をやんわり牽制してもう一度並んで歩き出す。 「帰りましょうか」 「帰ろうか」 これが決められた合言葉みたいに、俺たちは顔を見合わせた。 今日、これから、おんなじ家に帰る。 まだ部屋の中にはダンボールばかりで届いてない物もいくつかあるけれど正真正銘俺たちの家だ。これからも一緒にいようと決めた俺たちの、数少ない形のある主張だった。だから「一緒に帰りましょう」と、外出を進めたのはトキヤで、丁度台本のこともあったから、朝からあの家を出て今日初めて帰路につく。準備のためにあの場所に行くんじゃなくて、一緒の場所に、帰るんだ。俺もトキヤもそれを特別に思っている。そんな、大げさに?と、笑えてしまうくらい、おおごとなのだ。 一人でいた時間の長い人だった。 家族のことと彼が目指した夢のことで早く精神的に大人にならざるを得なくて、帰る場所が温度を持たない一室だったとしてそんなのどうってことないと、寂しさを抱えてまっすぐに立つことのできる強い人だった。俺は彼に安らげる場所を与えてあげたかったし、トキヤも俺に家族をくれると言った。 おんなじ形の鍵と色違いのキーフォルダー。 片手に収まってしまう大きさのそれが夢みたいにはじけてしまうんじゃないかと怖くて恐る恐る包んだ俺の手の上からトキヤが掌を重ねて、なくなったりしません、いなくなったりしませんと、そういわれてようやく握りしめることができた。涙が止まらなかった。生涯これを手放すことはしないと思った。俺の全部はこの人のもので、この人の未来は俺のものだ。 そんな日々の、一つの終着点と出発地点。 「やぁぱりー手をー繋いでーかーえろうかー」 「なんですかその気の抜けた歌い方は」 空を仰ぎながらワンフレーズ口にした俺にトキヤがあきれ顔で小突く。この歌がさ、だいすきで。 トキヤの歌はどれも憧れと対抗心を掻き立てるのに、この歌だけはただ愛しくなる。歌詞カードを握りしめながらうっかり泣かされてしまったのは、恥ずかしいから一生言わないけど。いつか、いつか。叶うなら、トキヤの100年先の人になりたいと。 願いをきいてくれる都合のいい神様なんていないのだと知ってから、もう何年もしてなかったお祈りの形を、律儀につくって真剣にとなえた。 「気ぃ抜けてるもん。なぁトキヤ、ここはやっぱり手をつなぐべきだと思わない?」 「先ほど私の抱擁は避けておいて…」 「トキヤにとってこれとそれっておなじラインなの…大胆!」 「ふふ、いいですよ」 本格的に暮れ始めた世界は薄い群青で俺たちを包んで、年甲斐もなくただ幸せにつないだ手を揺らしながら二人で帰路につく。 この日に還るために生まれてきたんだと、生きてきたんだと、うぬぼれてもトキヤは許してくれるかなぁ。どれだけ惑った日にも、お前の存在がまるで星みたいにコンパスみたいにきちんと幸福の方向を導いて俺の中にあったよ。 同室だと言い渡されたあの日から、マスターコースが始まって嶺ちゃんと3人で暮らしたときも、帰る場所が別々になってすれ違って喧嘩した日も、お前のことなんか大嫌いだと本気で思った時も、そのくせ大好きだと強く抱きしめた日も、ずっとずっとおんなじ所だったよ。 俺のかえるところは、トキヤ、いつだって。お前の隣だったんだ。 Always,I go home with you . あなたがわたしのかえるばしょ |