*preCDネタ



早咲きの桜がピンク色の花をつけた。
まだコートもマフラーも手放せない気温だが、身を切るような冷たさはなくもうすぐ春が来る。
明日には卒業式、その後部屋の受け渡しがある。
それまでに来た時と同じ状態にしなければならず時間を見つけては荷物を段ボールに詰める作業を数日続けている。幸い家具は備え付けだったので身の回り品のみの整理で良く業者を使う程でもなかった。

(短い一年でしたね)
ついこの前出会ったかと思えば、別れが目前にあるなんて。

「明日からもうここに帰らないなんて変な感じがする」
「貴方は施設に帰るんですよね」
「うん、とりあえず最初はね。一人暮らしってさ、お金かかるし。
トキヤはマンション借りてるんだっけ」
「私は上京してからずっとそうですから」

退寮後の選択は人それぞれで、住まいの形から夢を追うか諦めるかという点でも異なった。運よくデビューすることが決まったST☆RISHのメンバーはこれからも仕事を共にすることになる。那月など実家の遠い人間はこちらに部屋を借りるようだが、施設が東京にある音也は一端帰るらしい。それを聞いた時、ほっとした。もちろん仕事の都合か施設の都合か、いつかは一人で過ごさなければならないだろうがそれは今じゃない。寂しがり屋な音也を迎えてくれる暖かい場所と人がいてくれてくれたことに感謝したのは本人よりもトキヤの方かも知れなかった。


「それは持って行ってもしかたないんじゃないですか?」
持って行くものと捨てていくものを選択していく。もとよりトキヤは無駄なものは置かない主義なので今あるものはほとんどそのまま詰めることになる。一方で日に日に荷物の増えた音也はその選別に時間をとられている。
「そうなんだけどー…」
「荷物が増えますよ」
34点、と書かれた解答用紙までダンボールに入れようとする音也を制して、捨てていくもののスペースに置かせる。
34点。あらためて信じられない点数だ。

再テストだよどうしよう助けてトキヤ!

そういう声が聞こえてきそうだった。
「ああ、その本懐かしいね。音声うんたら学、っていうの。貸してっていったのに読まなかったなぁ」
「そうですね」

難しい本を読んでるんだね、なにそれ?見せて。
肩に顎を乗せて覗き込んできた音也を、初めはなんて常識のない人間だとも思ったが、いつのまにかその距離が当たり前で居心地がよくなった。



(…よくない)
見るもの手にするものすべてがこの男に繋がっていたのでは、
寂しさに捕まりそうになるここには思い出が多すぎるのだ。


「あと…そうだ、これ返すよ」

棚に向かった音也が持ってきたのは、片付けが下手な音也を見るに見かね「中身が見えてはみっともないから」と自分が彼に貸した布だった。入寮日当日のことだ。
「よく覚えてましたね」
「俺あの時トキヤってツンツンしてるけど優しい奴だなって思ったけど、やっぱりトキヤは優しかったね」
「…どうも」
その布を受け取ろうとしたとき、音也が力を込めた。ゆるく引くと、それ以上の力が渡さまいとする。
「嫌だ」
「…音也」
「やだよ、やだやだ、嫌だ、さみしい、出ていきたくない、やだよ、」
朝から、言い掛けては口を閉じて我慢するようにきゅっと口をむすんだ音也の堪えていた言葉が洪水のようにあふれ出る。同時に目からはぼろぼろと涙が零れ落ちていく。
はじめてみた。と場に合わない感想を抱いた。こんなにこんなに泣きじゃくる彼をみたのは、初めてだ。
「わがまま言わないでください」
「我儘ってわかってるよ、でも嫌だ、嫌なんだ。が、我慢しようって、昨日から決めてたのに、かたづけ、かたづけしてたら、」
「落ち着いてください」
「やだよぉ」
「音也!」


このままでいたい。朝起きたらトキヤがいて教室に言ったらマサと那月がいてお昼にはレンに会ったりしてほかの友達と歌って勉強して放課後に翔とサッカーしてそんな風に明日からもすごしたい。
だってこの学校が大好きだったんだ。
それができないなら思い出全部持って行きたいのに、帰るべき与えられたスペースには収まるはずがない。じゃあどれを捨てたらいいんだろうって選ぶ度に思い出まで置いていくような気になる。

この布を離したらトキヤともちゃんとさよならしなきゃって気がするんだ

「これ以上困らせないでください」
「ひっ、ぅ」
「私だってつらいんですよ」

ふわり、布が床に落ちる。
涙をごしごしと拭う音也は自分が暖かいものに包まれたの感じて、鼻孔をくすぐる馴染んだ匂いに余計涙腺が刺激された。トキヤ。トキヤがぎゅってしてくれてる。

「う、そだぁ、トキヤぜんぜん、そんなんじゃなくて、俺ばっかり」
「貴方より演技が上手いんです。知っているでしょう?」
「でもっ」
「私だって」

小さな嗚咽が音也の耳に届いた。きつく抱きしめて決してその表情を見せようとはしないまま、無理に絞り出した声はか細い音だった。
「音也のいない部屋に帰るなんて、つらいです。…そんなの、きっと、な、ないてしまう」



なんて声でなんてことを言うんだろう、今度は音也が驚く番だった。泣いてしまうなんて弱音を言われたのはもちろん初めてだ。いつもスマートでそつがなくて俺よりずっとできた人間の、トキヤが。

「トキヤも、トキヤも寂しい?俺とおんなじ?寂しい?」
「当たり前じゃないですか寂しいですよ」
「そっか、トキヤも寂しいんだ、そっか」
「きっと翔だって四ノ宮さんだって聖川さんだってレンだって、今寂しいと思います」
「そう、だよね」
「さみしいです」

さっきとは反対に、子供みたいに抱き着くトキヤをぎゅうと抱きしめてわんわん泣いた。いつもは保護者役のトキヤもただの少年になって、音也の鳴き声に煽られるように涙を流した。さみしいさみしいと言いあったら、余計さみしくなって、だけど泣き疲れて一呼吸置くと目の前の真っ赤な目と真っ赤な鼻のお互いが不格好で、最後は音也が笑って、それをトキヤが諌めた。
「わらわないでください」
「トキヤかっこわるっ」
「あなただって!お世辞にもかっこいいとは言えませんよ!」

床に落ちたままだった布を音也が拾い上げた。
「これ一度返す」
今度こそ受け取って、頷く。
「ええ。ですが私がいないからと言って気を抜かないように。部屋に上がった時に片づけていなかったら、怖いですよ?」
「うっわトキヤ厳しい!」
「当然です」
「…明日も泣いちゃうかなぁ」
「私は泣きませんよ」
「えー」
「今日だけです」

だから内緒ですよ、と照れくさそうに微笑んだ。




*
荷物も運びだしこれで最後と扉を開ける。もう一度部屋を見渡すと、もうそこには音也とトキヤが生活していた名残はどこにもなくこれから一か月も立てば他の誰かが暮らすのだと思えた。
余計なお世話かもしれないけれど、彼らも大切な誰かに出会ってほしい。
夢が叶っても諦めてもずっと一緒にいられるような友人に出会ってほしい。俺とトキヤが過ごしたこの部屋で。

「いきますよ」
「うん」
「…一年間、ありがとうございました」
「俺こそ、ありがとう」
トキヤの差し出された右手に左手を重ねようとして、一番初めの記憶がよみがえる。
ゲーム中に迷い込んだ子猫を助けようと協同した後、勝負をあきらめてしまったトキヤの手を掴んだ。
出会いも別れもこの手に触れて始まる。

「なんて顔をしてるんですか。またすぐに会えます」
「ん、わかってる。…じゃ、握手」

言葉にならない想いの分だけ力を込めて。



「いってきます」