*20131020音ついったネタ。豆乳(@fre.cell)モーニングコーヒー(@star・ightrainbow)



マグカップを二つ持っていたら、ひとつは俺ので、意味は「よかったらお話しませんか」だ。
これがブレイクタイムってやつなんだとトキヤにあって初めて知った。食事と一緒に出てくる飲み物はカレーとセットの水みたいなもので、サッカーとセットのスポーツドリンクは水分補給で、宿題の終わらない夜に買う缶コーヒーは眠気覚ましだった、それだけの意味しかなかったんだ。


俺の部屋にあるくせに家主にはあまり使われずトキヤに懐いてそうなメーカーを使って淹れられたコーヒーのにおいが鼻をくすぐる。
苦くって飲めないのに匂いだけはいつもおいしそうだ。
「トキヤ、休憩?」
「ええ、目が疲れました」
読み終えた本の冊数を数えて、そりゃ目が痛くなるよ!と昔は突っ込んでいたけれどトキヤの異様な読書好きにはもうなれてしまった。
彼は二つのマグカップをテーブルに置いて、暖かくなった指で瞼を押さえた。

「面白いのあった?」
「ええ、どれも面白かったです」

ふ、と笑みをこぼす表情に満足感が伝わってきて、本に没頭されるのは少しさみしいけれどトキヤが楽しいならそれでもいいかなと思える。
「今日のは豆乳じゃないよね?」
「生クリームですよ、好きでしょう?」
「やった!」
色を見ただけでブラックではないとわかる。でも以前豆乳を淹れられたことがあってからなんとなく聞いてしまう。
あれは、ちょっと意地悪だと思わなくもない。
だって豆乳だよ!びっくりしたんだよ!

定位置の椅子に座ってコーヒーを一口含んでから、トキヤは静かに「お話しましょう」の一番目を切り出した。

「どうして飲めもしないブラックを入れるんですか?」
「ツイッターの話?」
「そうです、あなた毎回じゃないですか」

ふうふうと息を吹きかけて口に入れる。うん、おいしい。
トキヤが聞きたがるのも無理はない。俺は毎回苦いのが分かってて牛乳を淹れず飲んでみて、その結果を報告する。そのたびにだから、とか言ったでしょう、と繰り返すトキヤもとうとう知りたくなったみたいだ。そんなに深い意味があるわけじゃないんだけど意味はある。ちらっと湯気の向こうに彼を覗き込むと同じく瞳だけで白状しなさいと凄まれた。

「…いくつか、理由があって」
「はい」
「単純に、飲める気がするんだよね。今日こそは!って。だってトキヤがおいしそうに飲むから、俺もいけるんじゃないかって。いつも苦い!って思って終わるんだけど」
「それは…学習したらどうですか?」
「モーニングコーヒーを試したらって言ったのはトキヤじゃん」
「私は何もブラックをとは言ってませんよ。…音也」
テーブルの下で足を軽く蹴ったのを咎められた。
「ごめんごめん。それから、お前が朝よく飲むから、かな?」
トキヤはモーニングコーヒーが習慣になっている。学生時代から今まで朝を共にすることが(それがどういう意味であれ)多い俺にはもう、目覚ましとトキヤのコーヒーはほとんど同じものだ。違うのは、目覚ましの音がなっても朝が来たという合図でしかないけれど、香ばしい匂いから始まる朝は腹の奥がくすくすする。まどろんでいたくて早くあいたくて、そんな幸福をさまよいながら目を覚ます。
「俺はさ、きっと、思い知りたいんだよ」
「何をですか?」
「うーん、トキヤいないんだってこと、かな」

その証拠にあれをしたくなるのはぽっかり空いた休日だ。何をする予定も誰と会う予定もなく一人きりで迎える朝。
誰とも繋がらない切り取られたような日にそっと試してみる。
トキヤを思い出して背伸びしてコーヒーなんて淹れて、その間俺はずっとトキヤを思い返してる。朝、おはようと、たまにキスをくれる大好きな恋人と迎える二人ぼっちの穏やかな朝のこと。
そしていつも、「やっぱり」苦いなぁってなる。そのどこかせつない感じが不思議と嫌じゃなかった。
やっぱり苦いコーヒーはやっぱりトキヤがいない証拠でやっぱり俺はさみしいんだ。
ああ、トキヤがいないなぁって寂しい。
寂しいのに寂しいと知りたい。トキヤがいないとさびしいんだって、そんな自分を思い知りたい。


と言ったら、カップを片手に中途半端な高さまで上げて固まってしまった。
「びっくりした?」
「…とても」
なんとも複雑な顔をしたトキヤがかわいくてもう一回足でちょっかいをかける。つんと指先で足首のあたりをつついてみると、すぐに反撃を始めたトキヤの足の下に抑え込まれてしまった。
「喜んでいいのか、呆れるべきなのか、判断しかねます」
「でも可愛いって思ったでしょー?」
口の端がぴくっと動いた。あれは笑いたいのをごまかすトキヤの癖だ。
「それは!…そうですが、なんというか」
「観念したら?」
抑え込まれたまんま親指で彼の土踏まずをくすぐる。
「おーとーやー…」
「けなげって思った?」
トキヤが弱いと知っている上目使いでさらに駄目押し。
「ああもう」
少し乱暴にカップをおいてから、トキヤはぷはっと息を吐いた。手の甲で顔を隠しながら、それでも肩を震わせて、ふふふ、と声を漏らして、笑う。
「貴方って人は、ほんとに」
「なになに?」
俺の前でしかしない砕けた表情が嬉しくて上機嫌のまま身体を乗り出して額を近づけた。鼻先がくっつくかくっつかないくらいになって、なんかぜんぜん、そういう雰囲気じゃなかったと思うんだけど、顔をあげたトキヤにさらっと奪われた。キスだ。
「最近、わかりました」
「えーっと、なにを?…あいたっ」
キス、だよね?と一瞬のことに気とられた俺にでこぴんをかましてトキヤは楽しそうにしている。
「寂しがり屋の、くせに。あなたみたいのを」
「俺みたいのを?」
「ばかわいい」
「ばかわいい?!」
「って言うんです」


寂しがりたいなんてトキヤの言うように馬鹿なのかもしれない。でも、いないことを知るのが昔よりずっと優しかった。独りきりで大丈夫だったころより、この人がいなければさびしいと感じる心の方が、俺は好きだった。

「でもばかわいいは、どうなんだろう」
「可愛いを抜くと、ただのバカですよ」
「そっちじゃない」
膨らませた頬を指でつつかれる。
「かわいいですよ」

苦いコーヒーはトキヤのいないこと、だから、苦くないコーヒーはトキヤといることなんだ。
ね、今みたいに。