握りしめた十円玉の数がほんの少しだけ、
だけどどうしても値札に足りなくて「見てただけだよ」と言った音也は帰って早々に赤いいろ紙を取り出した。

「もういないお母さんには白いのをあげるんだよ」
それを見つけた二つ年下の女の子がそう言って作りかけの赤い花を指す。
「そうなの?でも、赤がいい!俺は赤の方が好き」
「音也くんが赤でつくるなら、私もそうしようかな」

それは見た目では何の花か区別がつかないくらいだったけれど音也にとってはカーネーションだった。
母の日に母親に贈るための花だ。

出来上がったものは施設のお母さんたちに一輪ずつ配ってあとは川に流した。
育ててくれた人のもとへ供えることは叶わず、産んでくれた母親が眠る場所はどこなのかわからない。けれど二人はきっと天の国いるのだからどこへ渡しても届くだろう、流れて濡れて崩れていく残骸を見ながらありがとうと手を合わせる。
(ありがとう。俺は元気だよ。寂しくないよ)




「でもさ、白いカーネーションってあるの?俺今まで見たことない」
「あるにはあるけど、珍しいね。大体赤が混じっていたりするから」

レコーディングルームの床に座り込んだ音也が楽譜を指でいじりながら言うと、その隣に同じく腰を下ろしているレンが答えた。予約制のこの部屋には今はレンと音也しかいない。
防音のために外の音も聞こえず反響するお互いの音が心地いい。
「レンは何色の花をあげる?」
「そりゃあ赤だよ。情熱、愛情の色さ」
「レンらしいや」


特に課題があったわけでもなかったけれどなんとなく誰ともいたくなくて、それなのに誰かといたくて、それが不思議とわかってしまうからどちらともなく誘った。「一緒に歌を」という名目さえあれば難しいことは考えなくていい。

ふと、理由なく寂しい時に、動物がその身を寄せ合うように二人でいた。
今回はどこに行っても目に付く赤いカーネーションと広告のせいと気付いている。
絶望的な気持ちになるわけじゃない。ただ心許なくなるだけだ、途方もなく。

「それも、カーネーションじゃなくて薔薇がいいな」
「薔薇?もうそこまできたら、母の日って感じじゃないね」
「同じさ。大切な女性に愛を囁く日、そうだろう?」
「マサが聞いたら何言ってんだって言いそう」
「あいつは俺の言動全てが気に入らないのさ」


会話が途切れて耳鳴りが起こるほどの静寂が空間を満たす。墓前に供えるのかどうかはわからないけれど、レンが薔薇の花束を持って手を合わせるのなら、それはドラマのワンシーンのようだ。青い空を背景にたたずむレンとその手元の赤いバラ。花弁が風に散ったりして。きっとそばで見ている人はその相手が母親とは思わないだろう。切ないラブストーリーが隠されているのだと想像して涙ぐむかもしれない。


「…レンは手を合わせて愛を語るの?」
「俺はどのレディにも常に愛を語っているつもりだよ」
「それは否定しない」

「だって、さぁ、イッキ。
彼女は俺が世界で一番幸せにしたかった女性だよ」



海が凪ぐような静かな声色だった。


「それこそ腰が曲がってしわくちゃになっても、もっと皺くちゃに笑ってもらえるように」


「それ、すっげぇわかる」


レンの空色の目が一瞬だけ濃さを増して揺らいだ。すぐに息を吐いていつも通りに笑ったので音也は見間違いかと思って、自分の目じりに少しだけ浮かんだ水滴をぐしぐしと乱暴に拭った。



mother's day 2012