*お別れ注意 年も共に暮らせば隠し通せない想いのひとつやふたつはある。 聖川と俺のそれは同じ形をして同じようにお互いに向かっていて、けれど決して交わらせてはいけないものだった。 それなのに卒業という終わりがちらついてきたら、我慢できずに求めたのは俺の方だった。 「一度だけ」 なんてレディに言われることがあっても口にしたことはない。 男として、神宮寺レンとして道を大きく踏み外している。お前のせいだ。 「本当にいいのか」 「何に向けての了承かな。お前だって俺のこと欲しいだろう」 形のいい眉が寄せられて逡巡した後、男らしく腹をくくったらしい聖川が手を伸ばしてくる。そのわずかな時間すら待ちきれずにベッドに押し付けて俺は初めて聖川の匂いを知った。涼しい顔をしてるのに身体は熱い。 生きているのだから当たり前だ。だけど今まで一度だってこんな風に触れることはできなかった。 この先一度だって、こんな風に触れることはないだろうけど。 「キスをしてもいいかい」 「聞くな」 だって怖いんだよ。 柄にもなく緊張で震えそうなのを笑みでごまかして薄い唇にかみつく。 「余裕がないな、…俺もだが」 「ないよ。全然ない」 その日、不慣れな彼を抱くようにして抱かれた。 目の前で動く彼の口が何度もあいしてるとかたちを作るものだから心臓が破裂しそうで、好きな男を体の奥で銜え込む、途方もなく間違った幸福をかみしめて声を上げた。好きだとも愛してるとも告げたような気がするがそれが果たして、うまく言葉になっていたかはわからない。快楽と疲労に酔って眠りにつけばぬるま湯の中にいるような心地よさで目が覚めた。白色のカーテンは朝日を含んで柔らかい影が落ちる。まだ夢の中にいるようだ。 隣の男がいたずらに髪を撫でてくる。ああ、しあわせだ。 「望んでくれないか。そしたら俺はどんな覚悟でもできる」 「おれにおまえをふこうにすることばをいえっていうの」 聖川が俺にこんなこと言うなんておかしい、しあわせだ。まだこの世界から離れたくなくて心地のいい声を目をつぶったまま聞いた。この声で奏でられるラブソングが好きだった。堅物な男が横文字で愛を語るちょっとした相容れなさも見事にこなしてしまう器用さも。ピアノも好きだ。手芸や料理といった女性的なものが得意な指は鍵盤をたたく時、その音楽は聖川という男そのもののような気がしていた。思えば自分は聖川を形成する何物をも愛していた気がする。 「神宮寺の言いたいことはわかる。俺たちが目指しているものや背負っているものはこの想いを貫くには難しいことだらけだ。俺とて家に対して無責任なことはできない。だが、何も望んでくれないのはあまりに悲しいと思う」 「だって」 「なぁ神宮寺、最後にしなくてはだめか。本当に、お前はそれでいいのか」 答えを求める聖川の声が俺を暖かな場所から遠ざける。もう少しまどろんでいたいのにこの男は許してくれない。まだ、と欲につられて沈黙を貫く身体を痛いくらい抱きしめられる。 「神宮寺」 また迷子になったのか、真斗。 そう思ってしまうほど頼りない声だったので意志でもって瞼をあけた。一瞬明るさで真っ白になった視界にじわじわと線をむすぶ聖川の姿は幾分か幼く映る。あんなに「大人」になった姿を見たというのに、今目の前にいる彼はまるであのつまらない大人の世界でひとりぼっちでいる、連れ出してくれる俺の手を待っている小さな彼と同じ顔をしていた。 だけどもうその手をとらない。 「…いいんだよ。お前は親に愛されて妹ちゃんに愛されていつか最高のレディに愛されて、愛して、幸せにならなきゃだめだ。どうしてそれを捨てろなんて言える?言わないよ」 「神宮寺!」 「最後だって言っただろう?ほら聖川、わがままをいうなよ、お前らしくない」 束縛から逃れて散らばった衣類の中から自分のものをひろいあげる。 聖川はまっすぐで強い男だから、きっと何かを捨てることを躊躇したりはしないんだろう。だからそうさせないと自分で決めんだ、俺はお前が持つものを俺のために捨てるなんてさせたくない。迎えてくれる家も、叶えるべき夢も。 「さぁ、朝だ。なんて言ってくれるのかな」 場にそぐわない軽快な鳥の啼き声がする。もう少しすれば活動を始めた生徒たちの声が聞こえてくるだろう。昨日俺との間にあった何もかもがなかったかのように学園の生活は卒業に向けて日を刻む。 さぁ、ともう一度促す。自分にとって全てだった父親に背いてまで夢を追ったお前でも、 俺をあきらめる覚悟はそんなにつらいかい? 「…っ、…ま、また、何も着てないのか神宮寺、あれほど、ねる、ときは」 「――服を着ろって?相変わらずうるさいねお前も。俺は眠るときは香水かレディの香りしか身にまといたくないのさ」 聖川の震えた声にも気づかないふりをした。これで終わりだ。 なかったことにしようと紡ぐ言葉の裏で痛んだのは笑ってしまうくらい正直に、昨夜彼を受け入れた身体と女々しくも胸の奥だった。嗚咽を漏らす彼につられて溢れてしまいそうになる涙をこらえて、唇をきつくきつく噛んだ。 (お前は俺が何も望まないと言ったけれど) そっと届かない反論をしてみる。 (夢なら見たよ、聖川) お前の老いてく夢を見た。 皺くちゃになった手を重ねて隣で笑う、そんな都合のいい夢を、もう何度も見たよ。 |